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2012年3月31日土曜日

出会った人達②

同じ病室の右奥の人、40代後半くらいの人は、聞けば車の事故で入院してるらしい。
脳が壊れてしまって、簡単な計算や国語が読み書きできなくなってるらしい。
私が転倒してくる2週間くらい前にここに来たそうです。
出会った当時は記憶が定かでなくどんなことがあってここに入院してるのか?あやふやでした。
毎日のようにベッドの縁でオーバーテーブル使って小一年生程度の漢字ドリルとか算数ドリルに向かってたのが印象的でした。

一ヶ月過ぎた頃に入院した経緯を思い出した?ようで私に話してくれました。

それは…

家にいて脳溢血を発症し身動きが少し不自由なまま玄関へ移動し転倒。

そのときにどこを切ったか知らないが血だらけになり玄関のドア、靴箱に血痕を着けたらしい。

意識朦朧としたまま車に乗り込んで運転し、県道で事故。

走行車線から斜行し反対車線に入り対向車をかすめてガードレールに突っ込んだ。

らしい。少し逸れるとコンクリート電柱。見舞いの人にアレにぶつかってたら会えなかったねーって言われたと笑って話してました。

何故玄関に向かったのか?何故車を運転したのか?全く解らないそうです。

事故当日、仕事から帰ってきた奥さんが血だらけの玄関を見てずいぶん探し回ったそうです。
::::
歩いてる姿は健常者と変わらないですが、時々「足が動かない」と話してました。
右奥のひょろっとした学者さん風の紳士が退院してまもなくこの人も退院して行きました。
車椅子から見上げた感じですが本人は160センチくらいの身長でしたが、この方の奥さんがすごいでかい印象でした。
「入院したら優しくなった」とも語ってました。(山○○さん)

2012年3月30日金曜日

高血圧の治療薬②

16日前から抹消血管系の薬剤を減らしたのですが4日ほど前から少し高めの測定値(収縮期圧140台~拡張期圧90台)が出ています。

朝起きて薬を飲むまでの間に測定するので薬効が切れ始める時間帯に測定してるのは間違いないですね!

抹消血管系の薬剤を間引きした影響が微妙に出てるかもしれないですが、他の3種の降圧剤を服用するとほぼ二時間後には110台~70台に下がってます。

薬だけに頼るより、塩分の摂取量を見直すようにすべきですよね!
常に気をつけてるのですが…(汗

出会った人達①

私は脳内出血の後遺症で左半身が麻痺し、リハビリ病棟に転棟したのですがこの病棟にはさまざまな診療科目の人がリハビリのために入院してました。
数週間して次第にわかったのですがベッド数60床が限界の病棟でした。


それぞれの病室入り口に本人の名前と診療科目名が一覧になってて一目で判るようになってる。

消化器科、循環器科、泌尿器科、呼吸器科、整形外科、脳神経外科などが目立ってました。

転棟初日のことです…
病室は4人部屋で、左右にベッドを配置した室内の左手前のベッドをあてがわれました。
「○○です。よろしくお願いします!」室内には3人揃ってたので挨拶を簡単に済ませたのですが、返ってくる言葉がちょっと重い感じの人達でした。

どうやらお互いが会話らしい会話を交わしてない雰囲気でした。

窓際左のベッドは60代半ばくらいの人で声が擦れていてはっきりと聞き取れない。

窓際右の人は40代後半くらいの人できちんと返事を返してきました。

手前右の人は一見して大柄な80位のじいちゃんです。目が生き生きしてる。

表札を見ると窓際左の人は呼吸器科
右の40代後半の人と手前の大柄なじいちゃんは脳神経外科

その大柄なじいちゃんは私が来て4日目で退院しました。

大柄なじいちゃんの話によると…
婆ちゃんが留守のとき一人で風呂に入り脳梗塞を発症したのですが、幸いにも僅かに後遺症が残るだけで済んだそうです。
あのとき婆ちゃんが帰ってこなかったら「あたしは仏さんになってましたよ」と話してくれました。

転棟して4週間ほど窓側左の人がベッドから出たのを見たことが無かったですが、車椅子でベッドを離れるようになり、リハビリのため立ち歩く姿を度々見るようになって、交わす会話も増えてきて、「肺気胸」で入院したこと、「3ヶ月間起き上がれず」やせ細ってしまったこと、「若い頃悪いことはいっぱいやったけど、あと5年は生きていたい」とかかなり聞き取りにくい擦れた声で話してくれました。
この、ひょろっとした学者さん風の人(野○○さん)、擦れ声でしたが、文学的な表現を交えながら興味の尽きない一昔前の地元話をしてくれて印象的でした。

私が来て2ヶ月目近くになって退院してしまいました。

2012年3月28日水曜日

電動ペダル③

膝頭が外に倒れる現象に気付いて太股を内側に引き寄せる運動を試してみました。
1)椅子に座った状態で麻痺側の脚に外に引っ張るような力を与えて引き戻すだけの動作。
これは自転車の荷台に使う荷造り用ゴムロープを流用しました。

2)両足を揃えて膝頭近くにボールを挟んでギュッと締め付けその状態を維持し続けようとする動作。これは百均で見つけた直系9センチのゴムボールを使いました。

ペダルの回転運動で出来ない動作をここで書いておきます

Ⅰ足の内旋

Ⅱ太股の内転を維持する

Ⅲ足首のスムーズな背屈と低屈

ペダルの回転運動でどんな支障が出るのか


Ⅰ足の内旋

出来ない動作としてここに書きましたが、ペダルを踏んでいくらか力が入ると「外旋」するんですよね。

つま先を揃えてペダルを踏むのですがいつの間にか患側の足の踵がクランクに触れるほど接近してる。

いずれはクランクに接触する。

当然、つま先は外に向いて蟹股様に…。

健常なら自在に操れる身体のパーツですが、外に向いてしまったつま先を元に戻せない。
内旋出来ないのですよ。


Ⅱ太股の内転を維持する

ペダルを廻すと膝頭が安定しないで外に倒れながら運動する。グラグラ外に出たり内に入ったり…。

健側の脚はきれいな平面での円運動なのに患側は平面ではなく捩れている。

放置すると大腿骨、膝、足が直線上で運動しなくなると思う。


Ⅲ足首のスムーズな背屈と低屈

最終的にはこれも回復して欲しいです。
ペダルトレーナーを使うようになった動機は膝と足首なので…。

2012年3月27日火曜日

膝立ち前方ステップの効果

[膝関節過伸展対策]で有効だと思われる膝立ち前方ステップ。

僅かながらですが効果を感じてますので書いておきます。
 この膝立ちを始める前の膝の特徴的と思われる状態を書きます。

1)伸びてしまった膝関節を曲げなおそうとすると引っかかるような感触でスムースに曲がってくれない。

 2)過伸展の状態から膝をほんの少し曲げた状態を維持するのは前後にぐらついて困難だった。

 3)膝を軽く曲げ、維持出来るのは短時間。気付かないうちにジワッとさらに曲がってしまう。

 4)ガックンッ(発症2ヶ月目)→ガクン→ガクン/ガク(退院時)→グン! ::::::

1)について : 朝起きた直後、装具装着しないで立ち上がってみました。 膝関節を曲げ戻す動作に少しは引っかかりを感じますが以前と比べてスムーズな気がする。

2)について :前後のぐらつきはあるけど頻繁ではなくわずかに楽になった

3)について :やはりじわ~っと曲がる

4)について :グン!まったく出ない訳ではない。
発症二ヶ月目あたりの記憶ではガックンッと勢いついて伸びきってました。

退院する頃にはガクンとかガクだったと覚えてます。
 :::::
1)について補足があります
ペダルでの回転運動後等は太股の前、後ろの筋が緊張してるので過伸展の症状は出にくい気がします。

伸びてしまった膝関節を曲げ戻す動作が引っ掛かりが無く楽なのはペダルの回転運動のせいかもしれないです。
::::: 
それと、膝立ちの動作がお皿とお皿の腱にストレスを与えてたのですが少し慣れてきたようです。
お皿を固定するサポーターについては長時間締め続けると血流が悪くなる気がするし、掻痒感が強くなったりするので、タイミングよく短時間だけ装着し運動してます。

お皿とか腱の付近に違和感感じ出したら「お尻歩き」に変更してます。

2012年3月26日月曜日

肩の痛み

発症して1ヶ月半以上過ぎた頃から左肩の痛みを感じるようになり、OTに話したら「痛みを感じるようになったのは神経が繋がった証拠。」のような説明をしてくれました。

このころから作業療法中も肩の痛みを避けるようになり、就寝時も左を向くことが無くなってました。

当時、寝入ってる最中に左に寝返ってしまい肩の痛みで何回かは目を覚ました記憶があります。

痛みを感じるようになってから8ヶ月を過ぎた現在でも就寝中に左向きにならない習慣はすっかり定着してしまってます。

リハビリセンターでのOTによる肩と腕に関する治療は仰向の姿勢での単調な動作の反復運動でしたが、とても一人ではできるようなものでは無いと思ってました。

今日はリハビリの小休止中に気まぐれで仰向けになったままで左腕を持ち上げ当時思い出しながらギーコギーコやってしまいました。

右腕だけでは何かと上手くいかないんですよね。

肩の痛みが出てこないので腕を広げてみたくなり、無理かな?と思いながらやってみました。

意外とスンナリと横に伸ばせたので、ついでに身体を左向きにしてみたら痛みが出てこないんですよね!

肩口を下にしても痛くないのは痛みの原因が癒えたからなのかな?

左を向いて横になるのは本当に久しぶりです!!

誰もいないときに慣れない姿勢になるのは怖いので5分程度で仰向けに戻りましたが、痛みが出なかった事実は何か良い進展に繋がりそうです。

いや~ほんとうに嬉しかった♪

屋内での素足と内履き

入院中に初めて日帰りで帰宅したときのことです。

装具もまだ無い状態で杖一本と車椅子を車に積み、4ヶ月ぶりに我が家に戻れたのはほんとうに感無量でした。

振り返って思い出だせば無茶ですよね(笑

玄関前に車を着けてもらってドア入り口まで3メートル。

そのたったの3メートルが私にとって大変な困難を覚え、車から降り立つと覚悟して杖を頼りに歩みを進めるしかありませんでした。

ところが緊張のし過ぎか、何なのかわからないですが、杖突いてても足が前に出なかったのを覚えてます。

装具なしだったので怖かったんでしょうね(笑

何しろ車を降り立ったのがU字溝の上でちょっと先には落とし穴とも思える溝が続いてるし、側溝の蓋で段差がある。

その段差のある蓋の上を杖ついて歩くんですよ!

そして玄関のたたきは10センチほど高くなってる!

さらになんという意地悪なことか、10センチの段差の手前は30センチの隙間があって平らにはなってない。

たったの30センチの距離と凸凹、10センチの段差は一歩を踏み出すのにかなり決意が要るんですよ。

30センチを一気に跨ぐ勇気も脚力もバランス能力も無い。

10センチの段差の直ぐ手前に患側の足を突いて恐る恐る右脚をたたきの上に乗せて患側の足を引き上げるんですよね。

万一バランス崩したりすると擦り剥くだけで済まないのは解りきってました。

そんなこんな状況でやっとのことでたったの3メートルを杖突いて歩くんですよ。

やっと玄関入って、立ったまま靴脱げないので上り框にそろりと座り込んだのを覚えてます。

靴脱いで上り框からずずずっとお尻を床に着けたまま少し奥に移動し、膝立ちの姿勢から立ち上がり、さらに杖突いて移動する……。

靴下履いてると足裏が滑る感じがして居心地が悪いし、くにゃっとして安定感が全く無い。

かといって素足になると足裏でしっかりと床を掴むようなことが出来ないし、やはりくにゃっとして安定感が全く無い。

どうしたものか?と思案したあげくに「内履き」なるものを家の中で利用するようになったんですよ。

履きやすさと適度なグリップ感があるので今では家の中では必需となってます。

内履きが足裏への刺激を少なくしてるのは間違いないですが、そのことが回復への障壁となっていくかどうかは判りませんしどの時期に内履きにサヨナラするかも判ってません。

まだまだ先のことであることは間違いないですが…。

2012年3月25日日曜日

作業療法士

私には作業療法士と理学療法士の区別がつきませんでしたが、手のほうのリハビリが作業療法だと理解してました。

作業療法士はリハビリ病棟へ転棟と同時に担当が替わり最古参の女の人?が付く事になり、初めて対面したときに私の掌を取り指を曲げ伸ばしたり爪先で弾いたりしながらこう言いました。

「コレなら楽勝だよね!」

2ヶ月経過してあのときのOTの言葉とは真逆な言葉を聞く事になるとは思ってもいませんでした。

「○○さんは私の経験の中でワーストスリーに入ってますよ!」

結果として即通に導けなかった技量の無さを隠して「あんたが悪いんだからね!」と言われたような気がしたのでした。

二ヶ月もの間毎日同じ動作を繰り返すだけで、この他には知恵の無い人なのかな?と本気で思ったりしてました。

その頃から徐々に治療の内容が変わって「歩く」ほうのリハビリみたいな内容に重点が置かれていったと思います。

キャリアはあってもプライドのために職場にしがみついてしまって逝き遅れた人ではないかなと最近は真剣に考え始めてます。

2012年3月24日土曜日

高血圧の治療薬

薬の処方箋を出して貰うために脳神経外科を外来受診しました。
今回で外来受診は2度目です

降圧剤4種飲んでましたが、前回の主治医のアドバイスを受けて10日間薬剤を減らして血圧の変動を観察しました。

止めたのは抹消血管に作用する薬

継続して血圧の測定記録を付けてきたので抹消血管系治療薬の興味深い挙動が解ったんですよ。

薬は日に1回(朝)だけ飲んで24時間持続するタイプ。

抹消血管系も合わせて4錠飲んでた頃のデータを見ると薬の効果が薄れる時間帯の朝、「平均血圧」が跳ね上がってるんですよ。

んで、この抹消血管系の薬を10日間止めたんですが、「平均血圧」に大きな変動が無く薬効の切れる頃に数値が跳ね上がる現象は一度も無かった。

・抹消血管系の薬を飲んだら薬効切れる頃に「平均血圧」が跳ね上がった。

・飲まない場合、「平均血圧」が跳ね上ることはなかった。

という事です。良く解らない状況ですが、断薬しても数値的に大きく変動しないし、副作用ではないですが、一過的な変動が出ましたので本格的に減らすようにしました。

今日主治医に↑の件を相談したら直ぐにOK出ました。

降圧剤3種、8週分の処方箋いただきました。「3か月分出せるけど!どうする?」と聞かれたのですが次回に繰り延べてしまいました。

今回いただいた8週分の薬を飲みきるのは5月半ば過ぎです。

次回から12週分なので年内は8月と11月が薬の処方箋のための外来受診です。

ついでにジェネリック薬品に置き換える要望も…これもOK。

「平均血圧」とは抹消血管の硬化を推察する指標となる数値です。

普通に血圧測定した最高血圧と最低血圧で導き出せます。

血圧の平均のことではありません。念のため…。

理学療法士

理学療法士ってのがどうやら「歩くほうの先生」だと解ったのは初めて会って二日目でした。

このPT先生、見た目かなり若いんですよね!周りの人に聞くとまだ4ヶ月しか経験を積んでないらしい。

リハビリ始まった頃は経験の浅い先生と知って反発しましたね。

思い返せば駆け出しのこのPT先生はは言葉が足りなかったですね。

最初から重要ポイントを話してくれたらよかったのにと思うことが何度かありました。
何か説明を求めるとすごい早口で喋ってくれるし何言ってるか解らなかった。

ですが、すごい前向きで真摯な態度は出会いから最後まで一貫して変わらなかったんですよ!

しばらくして人柄解るようになって、いつの間にか「こいつでもいいかな?」と思うようになったんですよね。

最初のころははリハの力量不足と会話力に問題があると気付いて

「PT交代しろ~ヽ(`□´)ノ!ゴルァ!」

って叫んでたのにねぇ…

もちろん心の叫びですけどね!

2012年3月23日金曜日

下りスロープでの歩行

ついさっきまでと違う足取りになり、つま先の引っ掛かりが全く無くなってスイスイと歩けるようになったのが、実は緩い下りのスロープだと直ぐに気付いたのですが、それが何故なのかは解りませんでした。

うっすらではありますが下りスロープでの歩行の謎が解けそうなのでここに覚書として書いておきます。

長下肢装具使用の前提で…

緩やかな下りスロープの場合
1)患側脚が遊脚から支持脚に移行する瞬間、踵から着地し(平地よりも下り勾配の分だけ強め?の)低屈位となる。

2)強めの低屈位になると同時に膝を前に押し出す力がGSの低屈制動で発生する。

3)すでに支持脚となった [患側脚] の膝と下腿に発生した、前に押し出される力で健側の脚が遊脚し支持脚となる。

4)健側脚が踵から着地した瞬間、患側脚は(平地よりも下り勾配の分だけ強め?の)背屈位となり遊脚が開始される。

5)患側脚は、この強めの背屈位を維持したまま前方へ遊脚するのでつま先の引きずりが無い

以降1)に戻り繰り返す。

2012年3月22日木曜日

踵が浮く

私にとって表現が微妙で難しいのですが
ほんの少しだけ神経が通い始めた時期に…
その部位に無理な運動(適切ではない動作)を繰り返すと脳が間違ったタイミングで指令を出すようになる気がします。

入院中にコイン式の洗濯機を利用したんですが、ドラム式の乾燥機が目線よりも上にあったので取り出しモレの無いようにつま先で無理やり背伸びして死角で見えない手前の部分を覗き込んだりしてたんですよ。

患側のつま先と踵に精一杯力を入れるようにしてね…
当然十分な力が伝わるわけでもないのに健側の脚を頼りにして左足も爪先立ちのまねをしてたんですよ。

傍で見てたらおそらく、ほんのちょっとだけ踵が浮き上がった状態だったと思う。つま先と言うか足指の付け根に全体重をかけるような動作をたびたび繰り返す機会があったんですね。

:::::この動作が冒頭で書いた
「無理な運動(適切ではない動作)を繰り返すと脳が間違ったタイミングで指令を出すようになる気がします。」の裏づけになるんですよ。

退院して気付いたのですが、支え無しにしゃがむ動作をすると患側の足が踵を浮かしてるんですよね!
床から立ち上がる動作では踵を浮かすことはないので非常に不思議でしたよ。なんでこのタイミングで足首に力を入れ爪先立ちになるの?と…。

踵が浮く現象に気付いてからは、しゃがむ動作をするときは踵に重心を置くよう意識してきましたがまだ完全には修正できてません。

っていうか、踵を浮かし勝手に爪先立ちになろうとする患側の足にどう対応すれば良いのか?判ってないんですよね。

2012年3月21日水曜日

言語聴覚士

急性期病棟でちょうど1ヶ月過ごし、リハビリ病棟と言うところに転棟しました。

転棟する10日くらい前から言語聴覚士、作業療法士、理学療法士がそれぞれ急性期病棟の病室に来るようになり、ベッドの上で治療としてのリハビリがいつの間にか始まってました。

無理の無いように本格的なリハビリに誘導してもらった気がします。

リハビリと言うものが何を目的としてるかさえ理解できてないままリハビリに明け暮れる毎日が始まったんですよね!

特に言語聴覚のリハビリは毎回ストレスを受け続けてしまい、一番嫌いでした。

私の場合脳の右側がダメになったので「左の目」から入って来る視覚情報?を処理?できてなかったようです。

[救急車で謀大学病院へ搬入]で書いたように「首から上が無い」経験や食事中に目の前にあるはずのものが見えない経験をしました。

言語聴覚のリハビリでは「もういいよ」と言ってしまうほど視野の左側隅が欠損してるのを思い知らされました。

繰り返し頻繁に自覚させるのも治療の範疇なのでしょうね。

言語聴覚のリハビリは転棟して一ヵ月後にはめでたく強制終了しました

もちろん医師の確認と了解をもらってから強制終了です。

言語聴覚士とは最後まで付き合えるかどうか自信も付き合う気も無かったですね(笑

そう書きたくなるほど、私はストレスを受けてました。

ですが、おかげさまで不必要なほどに左側の空間に意識を向け見落としが無いか?注視する習慣をつけてきたので今ではまったく問題ないと思ってます。

2012年3月20日火曜日

膝関節過伸展対策⑦

お皿をある程度固定するProとニーキャップを併用して膝立ち歩行を繰り返してきました。

ですが、膝立ちで歩行を繰り返すとお皿の下の膝蓋腱の付近、くぼんだところ?に痛みを感じました。

ネット上を彷徨って痛みの原因としてヒントになる文章を探してましたら以下のメッセージが出てきました。

「このような膝蓋腱部の圧痛は、膝蓋腱自体のストレスや変化に基づく狭義の「膝蓋腱炎」と捉えている。」

:::::腱自体のストレスや変化に基づく:::::

これからすると少なくとも八ヶ月間は膝蓋に負荷をかけるようなことは無かったはずなので、この最近の突然の膝の運動が原因で狭義の「膝蓋腱炎」となってるかもしれない。

通常は激しい運動が原因ですが、要は運動不足からきた痛みだと…。

皮膚感覚も麻痺してるし、痛みの感覚も少ないので、無視すればいけそうですが、どうも気になる…

お皿自体の動かせる範囲も気のせいか広がってる気がするし…

あっ!これはProで解消してるはず…何か大きな誤解をしてるしれませんが…
後日、大事になるのでは?と心配してます。

と言うわけで、床などの固いものが直接当たることによって痛むのは回避できてるはずですが、私の重量でニーキャップを押しつぶしてるのでウレタンパッドでは役目に不足があるのかな~?とか考えてます。

もう一つ難題があるんですよね!

それは膝立ちになると連動運動?で強烈な背屈運動をする患側脚の足首です。

これは時間をかけてじんわり緩むのを待つか、正座の姿勢になって無理やり?足首を伸ばしたりしてきました。

こればかりは直ぐに解消と言うわけにはいかないので辛抱しながら続けます。

お尻歩きが太股の裏側に効くらしいですが、膝立ちでの痛みを感じるようになったら気休めにこのお尻歩きを取り入れながら続ける予定です。

2012年3月19日月曜日

電動ペダル②

しばらく前からペダルトレーナー?試してますが、どうやらリハに取り込む時期が早すぎた?ようです。

最初の頃はペダルに患側足を乗せるだけで一苦労し、クルクル回せるうれしさだけで満足?してました。

ペダルに足を乗せスイッチを押せば回転し足首や膝の関節を運動させてくれます。

最初は夢中だったんですよね。

廻してるうちに気付いたのが、つま先の外旋と膝の外への倒れ(外転)です。

見た目には所謂「蟹股」ですよ! ガ ニ マ タ !

正直、クルクル回すことで内転筋の弱さに気付いてしまい途方にくれてますがほっとくわけには行きません。

このままガニマタでクルクル回し続けるのは心もとないので内転筋を刺激し強化?する動作も取り込んでみたいと思います。

膝のお皿付近の痛みもガニマタもなんとか解決していきたいです。

的確なアドバイスがあれば迷うことも無いですが…。

内転筋の弱さに気付いただけじゃないです!


ペダルに患側脚をセットするだけでも困難を覚えてたのに、この短期間で患側脚の上げ下げが楽になりました!!

姿勢の維持が出来るようになったんですね。

これはとりあえず夢中でクルクル廻した効果だと思ってます。

初めて使ったときは、やっとペダルに足を乗せたらトレーナーが傾くほどに踏み倒そうとしたり、ペダルの向こうに脚を伸ばしてしまったり、膝が外に倒れ、つま先が外に向いてペダルを踏み外すとかして思うようにならなかったです。

2012年3月18日日曜日

急性期病棟で④

私は「検査結果のきちんとした説明」を要求しました

3日ほどしてその若い医師は2、3人の若い看護師を従えて仰々しくやって来て、質問する余裕を与えずに一方的に話を終わらせ部屋を出て行きました。

聞きたかったのは、コブは何ミリなのか?何が原因?破裂する可能性は?などでした。

幾日もしないでまた部屋を移動しました。

一番端っこの部屋です。

このころ起き上がれるようになり日を追うごとに車椅子への移乗はなんとかできるようになってましたが全ては麻痺してない右脚のおかげでした。

麻痺した脚は普通に立ってるように見えましたが、わずかに持ち上げることさえ無理でした。
発症初期は弛緩性麻痺だったと思うのですが膝崩れ?とか膝折れ?の経験は一度も無かったです。

救急車で運ばれてきてほぼ一ヶ月目にリハビリ病棟に転棟したのですが、その直前にCTでの「検査」を言われたので観てもらいました。

CT検査はこれで2度目です。



ところが酷いものでまったく返ってこないんですよね!検査結果が…。

他の病院でもこんな感じで検査はするけど結果は知らせないのが常識なのでしょうか?

これは担当の若い医師の怠慢な態度としか思えない出来事が転棟した後で立て続けに頻発したので、病院側の方針とかではないような気がします。

2012年3月17日土曜日

急性期病棟で③

初めて部屋を移った翌日、白衣の見慣れない若い感じの医師が来ました。

聞き覚えのある声で私に挨拶しましたが、いつものとりぼんやりしてたら何故か、急に強い口調で「わ た し が し ゅ じ い の ○ ○ ○ で す 」と目つきが怖くなってました。

この変な若い医師が言うには、「カテーテル検査?をする」とのことでした。

運ばれていくとあの変な若い医師と女の人だけしかいない部屋で股のところから何かズリズリ押し込まれました。

眠いので目をつむってましたが、いちゃいちゃする話し声はず~っと続いてました。

とても不快でした。何しろ施術の最中にふざけ合ってるんですからね。

このときに私はこの変な若い医師への不信感を持ちました。

当然、MRI同様、股を切って何かを差し込んだ検査の結果も説明はありませんでした。

股の傷が癒えたかどうか解らないうちに今度はCT検査だと言って看護師が私を運んでいきました。

二日ほどしてあの若い医師が来て「コブがあるので二週ごとに検査をします」と言ってきました。
そのとき口頭だけでの説明で手ぶらで来ました。

2012年3月16日金曜日

急性期病棟で②

MRI検査はヴォンヴォンヴォンとすごい音がしてました。
イヤーマフを耳に当てられても体中からその音が出てるようで不思議でした。

突然看護師が来て、「もう大丈夫だから今日から向かいの部屋に移りますよ!

と言いながらベッドごと移動し向かいの部屋に移ったのは救急車で運ばれてきてから5日くらい経った頃だと思う。

何が「もう大丈夫」なのかさっぱり解りませんでした。

右腕には針が刺さって長いチューブにつながってるし、身体を起こすことができないし…。

身体の左側は全く感じないし動かせない。

やはり後で判ったことですが、このとき点滴による治療が継続中でしたが、取りあえずは諸般の事情で部屋を移ったようです。

その部屋の先輩?が言うには…

ナースステーションに一番近い部屋にはうんと悪い人が入るんだよ、ちょっとづつ良くなってくとだんだん端っこの部屋に移される

…と教えてもらいました。

2012年3月15日木曜日

膝関節過伸展対⑥

市販の膝用サポーター。
二種類購入しました。
一つは膝のお皿を安定させてくれるPro Supporter knee wrap 20155って安価なサポーターです。
もう一つは膝の痛み分散用にと、ニーキャップって品名でやはり廉価版。25ミリ厚のポリウレタン入りの膝パッドです。

Proは今装着中で具合を確認してます。
装具を外してタイツの上から巻いてますが、圧迫感があり引き締めてくれるので膝周りがかなり安定してます。膝の過伸展を気にしないで歩けましたが、装具の代わりに…とはいかないと思います。
車でチョイ出かけの用があったので装具使わずProだけで外に出てみました。

装具と違い足首、足裏がしっかりしてないですが自由度が高く気に入ってしまいましたよ。

Proは膝のお皿の動きが大きくなってきたのでこれ以上悪化させないよう購入したもので、膝のお皿の養生に期待できそうです。

ニーキャップをProに重ねて装着したら麻痺脚には負荷が高く膝を曲げられなかったですが、何度もトライして納得できる結果を得ました。

このPro!片腕での装着が難しいので誰かに手伝ってもらうしかないです。
ニーキャップは結構きついですが割りと簡単に装着できました。

2012年3月14日水曜日

急性期病棟で①

何日の間寝てたのか定かではないですが、

目を開けたら白い天井が目に入ってきてかなりザワザワした部屋だと解りました。
あとで解ったのは、その部屋は急性期病棟と言うところにあって、四六時中誰かが喋り捲ってる待
機室のすぐそばだったらしい。
…。

とにかく五月蝿くて何度も不快な思いをした気分でした。

ひんぱんに看護師さんがそばに来て何かを「着け直し」てるようで、浴衣?の前をはだけたりしてました。

何度もひっきりなしにやってきて何かを「着け直し」てましたね。

何時頃だかさっぱり解りませんが、ふと気付いたのが周りに何人かいて無言でゴソゴソやってる。

この出来事から何日たったのかも定かではないですが、「ヒックッヒックッ」と何故か頻繁にシャックリが出るようになったのを覚えてます。

のどが渇いたので飲まして欲しいと要求して水飲んだらヒックッヒックッの連続で噎せ返り苦しい思いをしたのはこれが初めてでした。

これは「嚥下障害」というもので八ヶ月経とうとしてる今でも飲み食いの時は気をつけてます。

んで…謎のシャックリは四六時中出るようになり、やはり不快な思いをしてました。

あるとき気が付いたんですよね!

何故か寝返りが出来ないことを…。

どんなにがんばっても何か硬い感じの物で押さえつけられてる!!

何かベルトのようなもので自由を奪われてると気付いたのもこの時でした。

しゃっくりといい寝返りといい不快だらけでした。

そのベルトのような硬いものは胸の付近まであってやんわりとした圧迫感を加え続けてます。

看護士呼んで訴えましたよ!

私:「ベルトが圧迫してるので窮屈だよ!」

看護士:「十分緩めてますよ!」

私:「外してくれよ!」

看護士:「許可無いとできません」

私:「このシャックリは胸を圧迫してるから出てると思うヒックッ。…外しヒックッてくださいm(・・)mヒックッ」
看護士「・・・」

このことがあってからしばらくして気付いたら安全ベルトは無くなってました。

シャックリも消え寝返りできるようになって少しは落ち着いた気分になれたんですよね。

寝返りは動かせる右腕でベッドの柵をつかんでやってました。

右足は踏ん張れるので上半身をねじる動作もできました。


このころ身体の左側は完全に弛緩してるし皮膚感覚が全く無かったようです。

な の で 左腕を下にして左向きになってもどうってことなかったです。

ある晩腕の痛みで目を覚ますまでは左向きは良かったんですよね…。

2012年3月13日火曜日

救急車で謀大学病院へ

何故か眠くも無いのに目は開けられないけど、意識ははっきりしてる。

周囲の話し声はちゃんと聞こえてるけど声を出せないし身体を動かせない。

誰かが肩をゆすり揺り動かし耳元で「聞こえますかぁ?」「目を開けてください!」とかなんとか呼びかけてる。

私はやっとのことで目をあけたと思う…。

飛び込んできた光景は私の身体の上を誰かがヒラリと跨いでくるシーンだった。

声はハッキリ聞こえてるのに何故か誰だか何処に立ってるかも解らなかった。

声の聞こえる方向を凝視してたと思う。

やっと人らしきものが見えたけど顔が解らない。

解らないのではなくて首から上が無い。

「こっちだよ!こっち!」

ようやく目と目が合って挨拶された「初めまして!私がのうげの○○です。」

その人は声色に特徴があるので印象に残り、記憶の隅にとどめたようでした。

目を開けていられるのはほんのちょっとの間でした。どれくらい時間が過ぎたか解りませんがまたさっきの特徴ある声が聞こえてきました。

さっきはなんだか周囲が騒がしかったですが今度はシーンとしてます。

「・・・・・・?」「・・・・・ポアだよ!あはは!・・・・・」「・・・・・・!」

特徴ある声の反対側から女性の声も聞こえてました。

私のそばには二人しかいないようです。他には聞こえて来ませんでした。





男の特徴ある声と「ポアだよ!」はハッキリと記憶にとどめ寝てしまったようです。


2012年3月12日月曜日

電動ペダル①


自転車などのペダルを使った回転運動が膝と足首の回復に繋がるかもしれないと思い立ってペダルでの回転運動をどのように実現するか?を模索してましたが、手っ取り早く購入という選択をしました。

要は、ペダルトレーナー!買っちゃったよ~!ってことです。

購入した製品の品質の悪さはともかくリハビリでの目的が達成できるよう駆動部がぶっ壊れるまで使ってあげるしかないです。

そ~なんですよ!電動式です。製品名を書いてしまいそうですが絶対に書きません。

ハッキリ言って 

粗雑なパーツ使ってて使いにくいです。

ちょっと前に百均で吸盤買いました。

初めてでした!しなやかさの無い硬い吸盤を触ったのは…

その吸盤の生産国と同じ出所です。

この国の吸盤は硬いと思ってましたが、他の製品とか部品も硬いんですよね?

使いにくいと書きましたが一般的に健康な人なら「使いにくい」とは言わないはず…。

使いにくさは自助努力で克服して普段の生活のなかに取り込むしかないです。

日常生活=リハビリ なんですよ!

2012年3月11日日曜日

片麻痺の程度

発症してから半年もの間リハビリの目的で入院してました。

時間が過ぎてしまうのをただ待つだけの入院生活はつまらなく退屈なものでした…。

ベッドの上で意識が戻り、起き上がれるようになり、車椅子に移乗出来るようになるまで3週間かかりました。

麻痺しなかった右足のおかげで体重を支えることができ、立ち上がることだけは10日目辺りから周囲の目を盗んでやってました。

でも、たったの一歩も出せませんでした。怖くて歩けないのではなく、立ち上がってしまうと全く動かせないからです。

ベッドの上では少しは動きましたが、思うように膝を曲げることができず伸びたままの脚をベッドの柵に良くぶつけたのを覚えてます。

でも痛いような気がしただけで痛みは感じなかったです。

手足の感覚はまったく無く、足指を抓られても、分からない。

後ろから左肩を突かれても気付かない。

左側の手足で自由に動かせるものは何も無かったです。

入院1ヶ月目でブルンストロームステージは

上肢:「1」

指:「1」

下肢体幹:「2」

退院時のブルンストロームステージは

上肢:「2」

指:「2」

下肢体幹:「3~2」

「最初悪けりゃ終わりも悪し」 ですかね?

入院から6ヶ月経って長下肢装具と杖使ってやっと歩けるようにはなりましたが、

腕がまったく使えないだけに何も進展なしと思いますが、どうでしょうか?(悲&涙


2012年3月10日土曜日

膝関節過伸展対策⑤

膝保護用サポーターとか膝当てパッドを使うしかないのかな?

膝立ち前方ステップでの気がかりな膝の痛みをじっくり丁寧に観察しました。

膝立ちになって膝頭を床?(布団)から上げずに、じわっとゆっくりした動作で左右の体重移動を繰り返してみました。

何度かゆっくりと繰り返すうちに左膝と右膝の所謂お皿の動く範囲?が違うことに気付いたんですよね。

文字で表現すると右膝のお皿は「グリッ」、左膝のお皿は「グリリッ」。

なんだか微妙に違います。左はお皿の動いてる範囲がなんだか緩くなった気がする。

最近気付いた膝の痛みは、どうやら反張膝変形の前兆だけからくる痛みでは無いらしい。

お皿を安定させる筋肉が弛緩してユルユルな状態なのにあえて片膝立ちになるのはユルユルをさらに悪化させるかも知れないと思い始めてます。

ユルユルなら、やたらと動かないように締め付ければ良いのかな?

膝のお皿をしっかり固定する運動用のサポーターも必要かもしれないです。

これまでの状況を整理すると…

お皿をしっかり固定できて膝への衝撃を吸収する機能を持ったサポーター?が必要かもしれないと言うことですね。

2012年3月9日金曜日

膝関節過伸展対策④

ペッタリお尻をつけてしまうと足首の腱を痛めてしまうのも大変なことですが、本当の本題はここからです。

立ち膝のまま前方へ進む(前方ステップ)ことが出きるのだろうか?

多少の膝の痛みがあるので、痛みを軽減するクッションは何を使ったらいいのか?

最初は膝の痛み軽減で毛布を使ってみたのですが、足首の緊張が強くて毛布を引きずってしまったので却下しました。

この場面で脳血管障害で壊れた頭を使いましたよ(笑

結論は敷布団を部屋中(笑、敷いてしまえば解決します(笑

とにかく安全に身体を痛めずリハビリの動作ができればいいんですよ。

足首対策で思いついたのは、緊張した足首がいくらか弛緩するのを待って膝立ちのまま少しだけ前進することです。

↑の動作で
少し弛緩した足首はずるずると引きずられて、明後日の向きから少しはましな方向に整列してくれます。

足首の腱を痛めてしまうのはつま先が外側に向いた状態のようです。

膝立ちのまま少しだけ前進することによってつま先の向きが修正されたので一旦は慎重に正座の姿勢になりとりあえず布団の上で膝立ちになりました。

この姿勢から膝踏みを行い交互片膝立ちでの体重の移動加減とバランス感を確認しました。
調子に乗ったついでに膝踏みをたったの5分ほど続けたのですが、陽気のせいか汗ばんでしまいました。

膝過伸展を軽減するリハビリに必要な動作は膝踏みではなく「膝歩き」です。

短時間ですがやってみました。そして出ました。痛みが…。

痛みを我慢してリハビリを続ける気など無いので次の手を考えるため布団部屋?(笑 を出ました。
膝保護用サポーターとか膝当てパッドを使うしかないのかな?

2012年3月8日木曜日

膝関節過伸展対策③

膝関節過伸展対策③
足首の緊張は…

足首の緊張ってなんだ?
と思うかもしれないので何のことなのかもう少し書きます。

身体の左半分全部が運動麻痺となってるのですが脚とか腕を動かそうとすると関係ないほかの場所の筋肉の収縮が起こるんですよ。

普段何もしないで安静な状態なら異常な筋肉の収縮は起こりませんが、椅子から立ち上がろうと、両足を踏ん張ったりすると麻痺してるほうの、普段はダランとしてる腕がグイッと持ち上がったり、立ってる姿勢から床にしゃがむ姿勢になると腕はグイッと「く」の字に曲がり、足首はガチッと反り上がったまま硬くなったりする。

身体の一部分を動かすと、動かそうとは思ってない他の部分も一緒に動いてしまう。

力いっぱい肘を曲げるつもりもないし、力いっぱい足首を曲げるつもりも無いけど正常では見られない筋肉の運動が始まってしまう。

こんな状態のことを足首の緊張が強いとか、肘の緊張が和らいだとかって感じで使ってます。

片麻痺ってのが何なのか?
ほんの少しは解ったかもしれませんね!

本題に戻ります。

膝立ちするために、正座の姿勢になる過程と同じ方法を行うわけですが、どうやら足首はグイッと強く反らした状態になってしまってるらしい。

当然左の足首だけです。

普通に正座してて、足の甲を畳みにペッタリ着けた状態から足首を曲げ、甲を畳から離し足指を反らし指の腹でお尻の体重を支えるのは異常でもなんでもないですが、甲を畳から離し足指を五指全部グイッと握り締めるような状態でお尻の体重を支えようとするのは正常には見えませんよね?

足首の状態がどうなってるか良く確認しないでペッタリお尻をつけてしまうと足首の腱を痛めてしまうので気を使ってしまいます。
長くなったので次に続きます

2012年3月7日水曜日

膝関節過伸展対策②

謀PDFを参考にして膝がガクンとなる現象を無くしたり軽減させる動作を毎日のリハビリに取り入れることにしました。

この動作は膝立ちのまま前方へ左右交互に膝を進めるだけです。

この動作によってお尻の筋肉と太股の裏側の大きな筋肉が刺激されて膝関節の過伸展が軽減されるそうです。

実際に膝立ちの姿勢になり足首の緊張の具合や今まで気付かなかった膝の痛みをどうやって回避するかを考えてみました。

畳の上で初めて膝立ちになって膝踏みだけやってみたときに気付いた膝の痛みだったので、クッション代わりに毛布を何回か折りたたんでもらったら膝の痛みは気にならないくらい消えてしまいました。

足首の緊張は…

実は片麻痺者が膝立ちになるって結構困難なんですよね…

「正座」と同じ姿勢を取る過程の途中で「膝立ち」と言う姿勢を保つわけです。

畳の上で両足を揃えて伸ばした状態から膝を無理やり?曲げて引き寄せ上体を反転させながら正座に近い姿勢になる。

正座に近い姿勢を作ってしまうと患側の足首がどんな状態になっているか直視できないので全く判らない。

と言うのは、身体の左半分全部の皮膚感覚が無いに等しい

例えば正座しても皮膚感覚の薄い左足の踵に皮膚感覚の薄いお尻が乗っかるから足首がどんな状態になってるか判らない。

直接見るか、手で触って確認するしかない。

ところが身体を捻っても直視し辛い。

おまけに左の腕は全く動かないので左の足首を触って確認できない。

右腕は?というと右腕で左足の足首付近を探ろうとしても、なぜか届かない。

(思い違いなさるかもしれないのでもう少し書くと、↑の姿勢は中腰?に近い状態です。足首とか踵の上にお尻をすっかり下ろした状態ではありません。)


そこで膝立ちのまま股下から覗き込もうとする。

身体が硬いせいか股は見えるけどその向こうが見えない。

健常者には良く理解できない片麻痺者の感覚かも知れませんが、まあよろしくお願いしますよ。

足首の緊張は…の続きはまたあとで

2012年3月6日火曜日

膝関節過伸展対策①

謀PDFがきっかけで膝関節過伸展対策の立ち膝前方ステップの準備と方法の確認を今日から始めました。

なんだか日を追うごとにリハビリと称して一人ぼっちで過ごす時間が増えてきてます。

畳の上で膝立ちし、その場足踏み(膝踏み)をやってみたところ、床とか畳の上で正座するだけでは気付かなかった膝付近の謎の痛みに気付きました。

たぶん発症以来の膝のガックン(過伸展)が積み重なって出た痛みかもしれない。

退院前から装具を利用してますが、退院してからは週に一回程度、膝関節の具合を確かめたくて一日中装具を使わないで過ごしたりしてました。

今後は膝の回復具合を確認するための無意味な装具外しは止めるかも知れません。


反張膝の前兆ではないかもしれませんが今までに無い姿勢で痛みを感じたので厄介だと感じてます。

突然ですが…

人生初の入院生活と人生の最後の最後まで付き合っていくかもしれない片麻痺という後遺症も初体験です。

病名は高血圧性脳内出血です。

脳の右側の血管が破れてしまい体の左側全部麻痺しました。

現在は退院し在宅でリハビリに専念する毎日です。

入院中に日ごろから思ってたことは、
この体験を記録に残しておきたいとの思いでした。

突然ですが、本日その思いを果たす機会を作りました。

現在進行中のリハビリの内容と回復の具合、
そして入院生活中に起きた出来事を織り交ぜながら書き綴っていきたいと思ってます。


忘れてしまわないうちに……。。。

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2012年3月6日ブログ初開設時の紹介文

『2011年夏の終わりに脳内出血を発症、そして半年間の入院生活とリハビリ…
ぴーくすです。初めまして!
おじさんと言われ続けてきた年代から「おじいさん」と言われてしまいそうな年代にいつのまにか近づいてしまいました。
人生で初めての入院生活となってしまった脳内出血です。入院生活での一つ一つの出来事を忘れてしまう前に、思い出として残しておきたい。そして今起きつつある出来事を書き綴り記録として残します。』
更新日: 2012年12月28日(金) 13時05分 


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