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2012年6月8日金曜日

思い込みが甚だしい・・・

私の上肢は入院中に度々見かけた人の症状とは全く違ってました。

その度々見かけた人は肘が曲ったままで手を握り締め胸元付近に腕をくっつけてました。

腕を下ろせないらしくそのままの格好で入院病棟の廊下で旦那さんらしき人に傍についてもらって歩行の練習をしてたんですよね!

足元には金属支柱の短下肢装具を履いてた記憶があります。

当時の私は車椅子で移動してたのですが、まさか私もも歩けるようになるとは思いもせずに、「すごいな~」「歩いてる~!」と思いながら眺めてたものです。

いわゆる「羨望の眼差し」ですよ!(笑い^^

(何しろ私自身が車椅子から離れて歩くようになるとはこれっぽっちも考えてなかった・・・・。)

「旦那さんらしき人」って表現で度々見かけたのは「女の人」だと読み取った方もいると思います。

廊下で見かけるようになる以前は食事のたびにホールで「車椅子」に乗った彼女を頻繁に見かけてました。

そんな彼女の車椅子の印象しかなかったのに突然立って歩く姿をみるようになったので驚きと羨望が非常に強かったですね!

ちょうどその頃に拘縮とか筋短縮などの聞きなれない単語を知りました。

その単語と関連付けて彼女の腕の状態を見るようになり、そんな状態にはなってない私の腕もいずれは曲ったり握ったりするようになると思い込んでました。

「いずれはそうなる」と・・・・

これから起こるだろう事を考えると言いようの無い不安ともの悲しさを募らせたのは私の年齢には不似合いな事でした。

腕のリハビリにほとんど熱心ではない私ですが固まってしまう肩とか腕とか指を危惧し動かない腕をたまに動かしてました。

退院する頃になっても肘は硬くならないし手は勝手に広げたり握ったりしてるので「彼女とは違う後遺症らしい」と思うようになり、その頃知った「弛緩性麻痺」とか「徑性麻痺」と言う言葉を自分に当てはめてたんですよ。

私はあの人のような徑性麻痺ではない

私は弛緩性麻痺だと・・・・


リハビリ中に「どこまで回復する?」と聞いたら「解らない、脳の回復次第」とか「」聞かない方が良い」とか言われ続けてきたので麻痺の傾向を聞いてみる気にもならなかった。

先の回復の見通しではなくて現在の状態を聞けば教えてくれたんじゃないかと今でも思ってます。


最近解ったのは「弛緩性麻痺だとしたら立ったときに体重を支えることができない」はず。

私は発症から1カ月も経たないうちから立ち上がってました。

立ち上がれたことがどういう意味なのか勝手に解釈したのが間違った思い込みの始まりでした。

回復が始まって立てるようになったと・・・・(恥

上肢がブランブランしてたのも弛緩性麻痺だと強く思い込む材料になってたんですよね。


でも上肢に限っては弛緩性の麻痺に移行したと考えられます。


発症した直後は徑性を示す特徴があるそうで脳内の破壊が進行しその部分がすっかり壊れてしまうと徐々に弛緩していくそうです。

発症前日の出来事を書いたばかりですが、あの時腕が全く曲げられなかったのは発症初期の徑性麻痺が出てたのかな?

痺れが取れて発症まで24時間以上も異変を感じなかったのは身体の変調に無頓着な性格だからでしょうか?

何度も何度も似たような内容で左腕のことを書いてしまうのはやはり大事に至る前に少しでも対応できることをしなかった、気付けなかった後悔の現われなんですよ(反省


書いておきたい事から大きく外れてしまいました。

主題は「思い込み」でした・・・・・


明らかに私の思い込みで後遺症の状態を誤認していました。

徑性麻痺だとすると膝関節を立位で後ろに蹴り上げる動作がなかなか出来ない理由も判る気がするのですが、徑性だからと言ってリハビリの内容が変わるわけでもないし・・・・

私なりに明確になったのは上肢は弛緩性麻痺、下肢は徑性麻痺だということです。













作成日: 2012年6月5日(火) 09時04分

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